富士山

 今からさかのぼること30年程前。
 小学生から中学生になると、部活があり夏休みでも親子揃って休みが取りづらくなるよと友人から聞いた妻が、それではと、小4と小6年生の夏に富士登山を計画した。
当時、登山といっても職場の同僚と、湖南アルプスや伊吹山を登るハイキング程度。2000mはおろか3000m級の山経験はゼロ。
標高3776mといっても、登るのは5合目からであり、大人は何とか行けるだろうが…。しかし、子供は全く未知数。不安解消のため、春先から時々休日に子供と、野洲川堤を走ったり、三上山に登ったりと事前トレらしきものは試みた。
子供は、富士山を「頭を雲の上に出し、雷さまを下に聞く…日本1の山」程度の認識だったろう。

 いよいよ、梅雨明けを待って出発。5合目付近の旅館で前泊し、吉田ルートをスタート。今日、明日は晴れの予報。今日は8合目の山小屋まで。早立早着の鉄則など何も知らぬが、ゆっくり登ることだけを考えた。
1日目、何とか山小屋に到着し、夕食を食べ早めに寝る。翌朝、子供は中々起きない。大人はご来光を、頂上で迎えたいために急き立てるが…。
 そして、やはりと言うべきか、安の定、歩き出すと2人同時に頭が痛い、眠いと言う。そのうちものを吐く。急性高山病の症状である。やむなく、道傍で横にする。今なら携帯酸素がある?だろうが…。また、ジャージに通学用の雨カッパで寒がる。それでも、そのうち太陽も出て、励ましながらやっとのことで頂上の鳥居をくぐる。

 子供は、すっかり調子を取り戻すが、逆に大人は緊張が解けてか疲労困ぱい。標高も高いが値段も高かった味噌汁をすすると生き返った気がした。
下山し始めると、私以外皆元気である。シャリバテか高山病か身体が動かない。 

 皆、頂上を極めた自信からか、足取り軽く砂走りをどんどん下る。こんな筈ではなかったのにと思いつつ、ひとり置いてけぼりを食らい、トボトボと下るハメに。

 この登山がきっかけになったのか?後年、次男は、山岳部でインターハイ、国体にも出させてもらったが、本人は今、山には全く関心がないようだ。      
高所から景色を眺め、花を愛で、時には温泉に浸かる楽しい登山ではなく、他人とタイムを競う競技登山は、辛かったことしか記憶にないようである。
かって、妻が友人から聞いたとおり、この富士登山が親子4人での唯一最初で最後の山行となった。

 昨年、富士山は世界文化遺産に登録された。山が好きな人も、嫌いな人も一生に一度は、登ってみたい山だと言われる。益々人気に拍車がかかり、入山者は、年間35万人を超えるとか。特に、夏休みは超満員。押すな押すなの長蛇の列である。

 アルプスの山々からどっしり、悠然とした日本一のお山を、近くに遠くに見られるチャンスがよくある。
あれから、幾歳月が過ぎ去った。今、当時の危なっかしかった山登りが、懐かしく想いだされる山なのである。(S戸川)








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キリマンジャロ、ヒマラヤ

 幼い頃よりやんちゃで冒険好きな子ではあったが山登りに関して特別に記憶に残るような体験は思い出せず、学校行事で参加した愛宕山登山が唯一の記憶であろうか。

 二十歳を過ぎて興味はもっぱら海外への旅へと向かったが、ある日知人よりキリマンジャロに登ろうと誘われた。ケニヤのナイロビで待ち合わせ登山口であるタンザニアのモシという町のYMCAへ行き300USドル4泊5日の登山ツアーに参加した。何も持っていなかったので登山靴から寝袋、水筒に至るまでレンタル、ガイド、ポーター付きの殿様登山ではあったが4000mを越えたあたりから高山病に悩まされながらなんとか山頂を踏むことができた。登山初体験であった。

 半年後、同じ知人よりエベレストベースキャンプに行こうと誘われる。バンコクで知人と出合いカトマンズへと向かう。今回は期間も長く又自由に歩きたいので自分たちでアレンジすることにする。市場で必要なものをそろえ、バスで登山口の町ジリへ。帰路は空路にしたので3週間余りの行程である。このジリからのルートは地元の方の交易路でもあり、村々を結ぶ道はいくつもの峠を越えながらどこまでも続いていく。3日目で3500mまで登ったのだが翌日には1500メートルまで下ってしまう。10日程でシェルパ族のバザールタウン、ナムチェへと到着。ここからは穏やかな風景とは一変して雪と氷河の世界、15日目でベースキャンプ近くのエベレスト展望台カラパタールへと辿り着いた。見たことのない別世界がそこにはあった。山を歩いてきたからこそ味わえる瞬間であった。

 その後の旅において山に向かうことが多くなった。特にヒマラヤは私にとって特別な場所になり、その後ネパールやインド・パキスタンの山々を何度となく訪れることとなった。幾重にも連なる山々の峠を越え、大河の源流を求め、聖地を巡り、雪の頂きに圧倒される。登ることなどとてもかなわぬが近くで眺められるだけで、麓を歩けるだけで満足であった。そして道中の山里の風景、村人たちとの出会いはいつも心温まる思いがした。

 今は海外に行くことはほとんどなく日本の山を楽しんでいる。里山の風景はとても美しいと感じる。若かりし頃にヒマラヤで感じていたなにか懐かしいものの原点が日本の里山にあると最近思うようになった。
(N西)






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剱岳



 山行の数だけ思い出があります。イブリ山を通って登った朝日岳。お花畑の美しさと、初めて、スタミナ切れで、本当に動けなくなる経験をしました。黒百合に出会った白山。雷鳴に追われ、子供のお尻をつついて急がせ、半泣きで山小屋に駆け込んだ事もありました。大峰山では今でも女人禁制の山域がある事を知って、驚きました。その中でも一番印象深いのが剱岳です。室堂から剱沢を経て、真砂沢、仙人池、阿曽原を通り欅平へ抜けるコースで、初めて剱岳に出会いました。

 バスで室堂に近づくと緑に映える豊富な雪渓が目に飛び込んできます。歩き始めると、チングルマやコバケイソウ、リンドウやユリの仲間、食べるとさわやかな実をつけるシラタマの木。他にも様々な種類の植物が見事に山を彩っています。豊かな水と、花好きの私にはたまらなく楽しいコースです。池の美しさと、地獄谷の景観に驚いたあとは、ひたすら歩いて距離を稼ぎます。そして、剱沢で目にした剱岳の圧倒的な姿。時間が止まったような、そのたたずまい。我を忘れて、多分、ポカンと口を開けて長い間眺めていたと思います。そのあとは長く雪渓の道を歩きます。吹き抜ける風はひんやりとしているのですが、照り返しがきつく、とにかく暑い!!見かけによらない事を知りました。高度も高いので息切れもして、かなり苦しい思いをしました。 真砂沢から仙人温泉小屋へ向かう途中にある露天の仙人湯は、思わず旅装を解いて、入りたくなる所です。阿曽原に向かう途中に高熱随道という所があります。この辺りは温泉がたくさん湧いている所で、トンネルを掘る時に、その地熱のすさまじさに、大変苦労をしたという、いわくつきのトンネルだそうです。吉村昭の「高熱随道」という小説があります。これを読んで、現地に行くと、感慨もひとしおです。阿曽原を抜けると、映画の「黒部の太陽」の舞台となった黒部ダム建設が行われた時に、物資を担いであがった道が続いています。岩の山肌をコの字に削り、人、一人がやっと通れるような水平歩道。片側は足がすくむような崖で、落ちたら最後。冷汗をかきながら欅平まで歩きました。その後、結婚。子供がしっかり歩けるようになってからは、剱沢でのキャンプが、我が家の夏休みの定番となりました。真夏の雪遊びと雪渓でのゼリー作り。冷たい水で冷やしたそうめんは格別です。暖かい岩の上での昼寝や、雷鳥との出会い等々。見上げると剱沢がいつもどっしりと、そこにありました。私にとっての剱岳は天上界のシンボルです。

 下の子供が10歳になった年に、初めて剱岳に出会ったコースを逆向きで、今度は家族4人で歩くことができた時は、本当に嬉しかったです。剱沢に、こんなに行っているのに、実は剱岳には、まだ登った事が無いのですよ(*^o^*)
T.S








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八池谷(八淵谷)‐

比良山系・八池谷(八淵谷)‐中学生の息子との思い出‐

 数年前になりますが、大学1年の息子が中学生だった頃、二人で比良山の八池谷を登ったことがあります。
 初夏の頃でしたが、特にピークハンティングするつもりもなく、ちょっとした沢登りの清涼感と源流部で焚火をしながらの一泊キャンプを目的としていました。
 高島市街からガリバー旅行村方面へ車で向かい、黒谷集落の外れに駐車して林道を歩き滝道の入口から登って行きました。途中、巻き道に遊歩道を迂回するなどして大摺鉢へ辿り着き、その後しばらくはウェーディングシューズで滑滝を軽快に登ったように記憶しています。貴船の滝は水量も多く落差もあり見応えがありました。ここは右側の鎖場を登り、七遍返しの滝など通り過ぎ、オガサカ道の分岐から更に沢沿いを進み、流が大きく右へ湾曲する部分、広谷の入口付近でキャンプの準備を始めました。
 薪を集めて小さな焚火をし、熾火になったところで持参した食料を焼き始めました。ちょっとしたバーベキュー気分です。湧水で冷やしていた500mlのビール缶を開けて一息着きかけたところに(なんとなく悪い予感!)、30歳前後のハイカーと思われる男性3人が現れ、こちらに近づいて来ました。夕食をとりかけた頃なので、日が傾き、既に暗くなりかけていました。
 3人のハイカーと思しき面々は八雲が原から下りてきたようですが、「明日は仕事なので今日中に神戸方面まで帰りたい」「ガリバー旅行村へ下りたいのだが・・・」との賜っておりました。地図を持っているのか聞くと、駅のパンフレット立てにあるような八淵の滝付近のイラストマップを持っています。「懐中電灯は?」、「持っていません」????
 このようなやりとりの後、暗くなってから貴船の滝辺りの鎖場を降りるのは危ないので下山を思いとどまるように言いましたが、「それでも帰りたい」というので、貴船の滝の鎖場を迂回するため、広谷小屋から大摺鉢へ出るルートを先導して行きました。中学生の息子のことは気になりましたが、テン場に留まるように言っておきした。
 小一時間ほど下山してようやく、“貴船の滝迂回ルート”に辿りついたので、「あとはこの道をしっかりトレースしていけばガリバー旅行村に着くから」と言い残して分かれました。(後日、3名の代表者が手紙を送ってきてくれましたが、無事ガリバー旅行村に着いてタクシーを呼んで帰ったそうです)
 私が元のテン場に戻るまでに2時間ほど経過し、ビールも生温くなっていました。とほほ(〜〜;)。
「あの人ら、ちゃんと帰ったかなあ」、「比良山での遭難って、こういう時に起こるんかもしれんなあ」などと、中学生の息子とテントの中でひとしきり話をしました。彼にとっては良い思い出とともに勉強にもなったと思いますが、夜中、テントに中でなかなか寝付けず、時折奇声を発する鳥の鳴き声に驚いている様子でした。
 その後、彼も高校生になって山岳部に入ったことを思うと、“まんざら懲りてはいなかったんだなあ”と安心した次第です。
K.W

【追伸】
最近、仕事の都合で土休日の休みがなかなか取れませんが、また、山行や謎の会議にご一緒できることを楽しみにしています。



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竜王山

 雪稜会に入会して、山歩きを始めて2年になります。ただ今、山歴を作り始めたばかりで、思い出の山をと言われてう〜んと、うなってしまいました。しかし、今、この歳で山を始めようと思った原点と聞かれたならば、小学生の頃の市民ハイキングでしょう。当時大阪の茨木市では、秋に竜王山への市民ハイキングが行われており、毎年楽しみに参加していました。竜王山自体は低い1時間もかからずに山頂に到着する山ですが、途中東海道自然歩道を歩きながら、権内水路という江戸時代の水路を見学したり、隠れキリシタンの遺跡や展示物を見ながら山頂を目指します。今思えばレプリカだとわかるのですが、教科書に載っていたザビエルの絵が展示されていて、子供心に、授業で習った出来事がこんな間近に息づいていたかと、歴史に近親感を覚えました。歴史好きと、山へのあこがれはこの体験が原点だと思います。ですから、子育ての間も、子供にその様な種をいろいろ播けているかということは、私の1番の課題でもありました。
 これからは、雪稜会の皆様といっしょに「思い出の山?たくさんあって困ってしまうな!」って言えるように、例会にどんどん参加しようと思っています。
(G)




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武奈ヶ岳

武奈ヶ岳


 私にとっては近くて遠い山、武奈ヶ岳です。
登って見たいな、比良山系最高峰の山、昔はそう思っていました。登山知識の無い私は、リフト、ロ−プウェイと乗り継いで登る事を考えていましたが、リフト等が廃止になり計画倒れに終わりました。しかしチャンスが訪れました2007年11月23日に栃生〜釣瓶岳〜武奈ヶ岳〜細川のコ−スです。嬉しい武奈ヶ岳に登れると思いました。
 天気予報は確か晴れだったと思います、出発の頃には小雨になってきましたが、だんだん薄日も射してきました、稜線に出た辺りからはうっすら雪が積っていました、釣瓶岳あたりからは北稜の素晴らしい景色と積雪の多さにはびっくり致しました。細川越え辺りからは雪が膝くらいになってきました。山頂は風もなく立ったまま食事を取りました。歩こうとしても足を出すとずぼずぼと埋もれ動く事も儘ならず、手は濡れて冷たくて、本当に冷たかったです。紅葉がまさかの雪山に、なってしまいました。
 少々オ−バですが、雪の山に魅せられたのも、このときからです。




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槍ヶ岳

もう数十年前になります。一度だけ槍ヶ岳に登ったのが、私の本格登山です。
もうどこをどう歩いたのか忘れましたが、槍の肩から垂直の岩をよじ登り、槍の頂上に立ちました。
頂上は思ったより広くその日は視界良好で四方見渡せました。北鎌尾根を見下ろし、一番難しいルートと言う事で、その険しさに目を見張りました。
そして夜、見上げた空に巨大な北斗七星が槍に掛かっていました。その大きかったこと・・・!
幸いなことに苦しかったことは忘れ、良かったことだけ覚えているものです。コマクサを初めて見たのもその時でした。
北アルプスはいいですね!!(S)









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大山(横谷)

思い出の山 
20万本の水芭蕉が咲いていた大山(横谷)


 金沢に移って2〜3年経ち、生活にも慣れ、土、日は山にでも行きたいと思っていたところ、”白山山系とっておきの33山”という本を見つけた。そこで手ごろと思い、全部登ろうと、密かに目標とした。2005年の飛び石連休の真ん中の5月3日、何も予定がないので、この本を引っ張り出し、32番目に小さく挙げられていた標高956mの大山(横谷)にとりあえず行くことにした。
 8号線を小松から国道416号に入り、残雪を心配しつつ山の中を30分ほど走ると小さな丸山水力発電所がある。そこから林道に入るようだが雪解け水が流れており、発電所前に車を止めた。この前年は、熊が金沢の住宅地にまで現れ、大きなニュースになっていたので、鈴を2つも付けて、人影のない、雪で石がごろごろした林道を歩き始めた。1時間ほどいくと登山口が見えた。前年の落葉で濡れた斜面を40分ほど急登すると山上の低い雑木林に出る。そこから緩やかな下り道になり、水芭蕉がぼちぼちと見えてきた。喜んでさらに進むと、急に視界が開け、ゆるい流れに沿ってずーっと水芭蕉が咲いていた。思わずオーと声を上げてしまった。あまり期待してなかったこともあり、感激が大きかったのだろう。
 中央に雪解け水がたまった池があり、そこの幅は広くなっているが、大体20〜30mの幅で200m程度続いていようか?周囲には散策する小道がついているが、下流では小道を越え流れ沿ってまだ続いている。ここの水芭蕉は小ぶりで、大きくても高さ30cm、ほとんどが15cm程度であることも興味深い。
 湿原を見ながら遅い昼食をとっていると、雑木林の中に山桜や、水芭蕉の間にショウジョウバカマがいくつか咲いているのに気付き、こんな花園を独り占めできたとほくそ笑んだ。
 感激が大きかったので、それから4年ぐらい続けて登ったが、やはり、最初が一番よかった。後年、同僚を4、5人連れて行ったら、皆すごいの連発で、やっぱりすばらしいところだと改めて納得をした。(F)






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槍ケ岳

思い出の山 槍ケ岳


 私の思い出の山は、槍ケ岳です。思い出の山というより憧れの山といったほうがぴったりかもしれません。あの威風堂々とした佇まい、凛としてかっこいいです。
 そもそも私が槍ケ岳を見たのは(写真だけど・・・)中学一年生の時です。担任が授業を脱線し、夏に登った山の話をしてくれたのです。その時まで私は三千メートル級の山なんて知らなかったし、興味もなかったのですが、「一歩また一歩、地を踏みしめ、ひたすら歩き続け、やっと頂上に着いた時の達成感は最高。」そんな話を聞き、私はただただすごいなあ、そんな世界があるんやと思いました。
 子育てが一段落した40歳を過ぎたころ、職場の友人たちに誘われ、初めて薬師沢から雲ノ平へ行きました。(この山行は401にHさんが書いています。おばさん3人のうちの一人が私です。) 行こうと思ったのは、この時の担任の話がずっと頭にあったからだと思います。
 それ以降、誘われるままに山に登るようになりました。夏には高い山にもいくつか登りました。北アルプスの山々から遠くに槍ケ岳が見えた時は、うれしかったです。やっぱりかっこいいなあと思いました。燕岳から常念岳へと歩いた尾根からは、槍ケ岳がすぐそこに迫って見え、わくわくしました。
 ただ眺めるだけだった槍に登ることになったのは、友人が登ったと聞き、私も登りたいと懇願したからです。いつも他力本願な私です。この時も日程もコースもお任せでした。上高地から入り、横尾山荘で一泊し、槍を目指しました。やっと槍ケ岳山荘に着いた時は雨、しかもかなり冷たい雨でした。しばらく休んでから雨の中を頂上目指して登って行ったのですが、カッパを着ていて動きにくいし、ツルっと滑るし、本当にこわかったです。列ができるほどたくさんの人が登っており、頂上にいた時間はほんの少しでしたが、最高の気分でした。この時私は50歳。「50歳のすごい記念だ。」と一人悦に入ってました。(KK)




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山王山

思い出の山 山王山

 険しくも美しい山々の連なりが果てしなく広がり、朝日が神々しく・・・
なんて書いてみたいものですが、日帰り山行を楽しんでいる私には、まだ少し先の楽しみになりそうです。これまでの山行では、武奈ヶ岳の稜線歩きや、比良の奥座敷・白滝山、アルプスを思わせる夜叉が池、他にも思い浮かぶ山が色々あり悩みます。なので、前回9月号に執筆された濱野さんの思い出の山にならって、私も故郷の山のことを書いて、懐かしく思い出にひたってみようと思います!
 私の懐かしの山には、山王山(さんのうやま)という名前がついています。小学生の私には大きな山でしたが、今、見上げるととっても小さな山で、ふもとには、神社があり、お祭りには子供たちが大勢集まります。地図で等高線を追ってみたら、神社からわずか90メートルのぼったところが頂上で、びっくりです。
 友達とおやつを持って頂上をめざして何度ものぼっていました。途中、道に迷ったり、キノコを見つけ「毒キノコや〜」っと叫んだりで、ドキドキがいっぱいでした。低い山とは言え、頂上まで登れば町中が見渡せ、「ヤッホー!」と叫べば、達成感でいっぱいです。
 この山、友達と登ることもあれば、父親、妹と登ったり、クラス担任の気まぐれで、当日の体育が急に山登りに変更になり、クラスのみんなで登ったりと、色々な人と色々なシチュエーションで登っていました。今思うと、この90メートルという低い高さゆえに、小学生の私達に色々な体験をさせてもらえたのだと思います。今度、山王山の前を通ったら、何だか手を合わせてしまいそうな気分です。
 思い出話になってしまいましたが、やっぱり山はいいなぁと思います。そして、自然豊かな土地で生まれ育ったことを改めて思わせていただき、感謝です。(C)



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