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ぶな8月号

ぶな     8月号            NO.485

 

 

 

 

 

<巻頭言>

             記念山行

 

                              Y口Y生

 

 雪稜会の20周年の時には、雲の平に行った。コースは2つあり、私は仕事の都合でピストンの短いコースに参加した。途中で先発隊と合流し、記念写真を撮った。皆雨の中を歩いたらしく、大変疲れていた。雲の平のテント場は、傾斜がきつく雨が降ると川の中にテントを張っている様だった。次の日の朝は少しだけ360度の展望が楽しめた。このために来たという瞬間だった。

 30周年は、北アルプスを皆でつなごうと沢山のコースが組まれた。その中の朝日岳に登った。花の種類が多く、とてもきれいで感動した。朝日小屋の食事は最高だった。

今から3年くらい前には、冬のトレーニング不足で腰を悪くした。病院もあちこち行ったが、良くならず、これで山歩きも終わりかと思っていた。ジムに行ってプールでウォーキング、自転車をこぐ、など少しずつ歩けるようになった。去年の夏は、北岳に登れた。富士山の絶景は忘れられない。今年は5月には権現から北小松まで歩いた。また、関東例会にも参加し、なるべく週1回はどこかに登るという目標を持って歩いた。

いよいよ40周年、南アルプス縦走!!今回もたくさんのコースが計画されている。それぞれのコースを、けがの無いように完走したいものだ。そして沢山の楽しい思い出を作ろう。

 

 

 

 

目次

 

 

卷頭言 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1

目次  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2

例会山行案内

   安蔵山(滋賀40山)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・3

例会山行報告

深谷山(滋賀40座)  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・4

比良釈迦岳(夏山トレーニング)・・・・・・・・・・・・・・・・6

スイストレッキング・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・8

個人山行報告      

別子銅山付近・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・16

   奥穂高岳・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・18

   武奈ヶ岳・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・21

寄稿 

日光沢温泉〜奥鬼怒沼・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・22

   熱中症・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・24  

鳳凰三山縦走・雨のち晴れ・・・・・・・・・・・・・・・・・・25

 私のこだわり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・26

   遭難していたかも・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・28

 

 

技術講習会受講報告

    ナビゲーション超入門講座・・・・・・・・・・・・・・・・・32

    自己紹介・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・34

第5回運営委員会報告・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・35

お知らせ      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・36

寄稿のお礼

㋇予定表・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・37

 

【寄稿】

日光沢温泉〜奥鬼怒沼

日時:5月27日(月)〜28日(火)1泊2日         M藤(記)

 

 「日光沢温泉」は奥鬼怒温泉郷(八丁の湯・加仁湯・日光沢・手白沢)奥鬼怒4湯の中の一つで日光国立公園内に位置し歩いてしか行けない温泉宿です。

 ここは55年前の学生時代、WV仲間3人で「金精峠〜根名草山〜日光沢温泉」と歩いて訪れた懐かしい温泉で、定年後の「歩いてしか行けない温泉宿巡りの原点」です。

 今回は夫婦淵温泉に車を止め、日光沢温泉迄歩き一泊し、以前から行きたかった「奥鬼怒沼」を夫婦で目指しました。

 

 翌日、6時半に出発、日光沢温泉の敷地内から温泉神社の横を抜け、オロオソロシの滝展望台を抜け、標高1800m迄は残雪もなく順調に進むが少し大きな沢を渡る辺りから残雪が登山道に現れる。道は涸れた沢筋にあり雪を踏み抜かない様に慎重に進むが1900m辺りから一面の残雪となり登りは未だ良いが下りは雪が緩んで踏み抜きが危ないので後、標高差100m、直線距離4500m位で奥鬼怒沼だ。日当たりも良く沼は雪は無いと思うが安全を見て引き返す事に。昼前に宿に戻り、弁当を食べ帰路に就く。

 

 日光沢温泉の校舎を思わせる宿は2代目が山の木を切って建てた宿で丈夫で、この土地に良く合っていると私が訪れた昭和40年頃は未だ平屋だった様で母の代と150年続く4代目の若女将が話してました。

 内湯は男女別の二つあり、露天風呂は混浴で男湯の内湯から戸を開けると行け下の乳白色の温泉と上に透明の岩風呂の2ケ所あります。日帰り温泉は旅館の脇より階段を下りていくと上の段の透明な温泉、下の乳白色の温泉に行けます。

 宿泊者は上下2つの露天風呂は混浴ですが、夜間に女性専用時間帯が設けられており、その際、内湯も男女入れ替えとなるので、4つの違った種類の温泉を味わえる事になる。食事は広間で摂るが、山宿とは思えない、天ぷらや岩魚が出たりし満足のいくものだった。ここ迄は、川沿いの平坦な解りやすい道を、2時間程のハイキングで来ます。

今、この大自然と共にある、大切な温泉地に「地熱発電」の計画が上っているそうで帰り際にも地熱発電の関係者が宿を訪れていました。女将さんは、そんな事をした

ら絶対湯脈が変わって温泉が枯渇してしまうと反対していました。

 加仁湯は立派になり八丁の湯も滝壺の脇にある露天風呂が昔の面影を残すのみで宿泊者は車の送迎があるが、日光沢温泉は昔の面影を多く残し、歩いてしか行けない貴重な温泉宿で何時までも残しておいて欲しい!交通が便利になり、宿もリニューアリされる時代に貴重な温泉宿である。今は、登山道の途中にある温泉宿が残っているだけです。

 

<寄稿>                                 熱中症

 

にも雨が降り出しそうな日、朽木村井からイン谷まで歩くという山友会Tさんの個人山行に参加しました、心配していた雨は降らずでしたが、風はなく湿度は高く、汗が滴り落ちるなか歩き始めて一時間、メンバーのMさんが「ちょっと吐きそうです」とのこと。風の通る場所に移動して長休憩をとることになりました。 

風にあたっているうちに吐き気が治まったとのことで、水分、塩分、糖分を補給し、さらに休憩するうちに万全とはいえないまでもかなり回復されたとのこと。

引き返して村井に戻っても交通の便がないので、山頂目前の地蔵山まで登り、そこから畑に降りるコースに変更。午後早い時間に無事に下山ができました。 

経験も体力も豊富なMさんは、登山前から普段より水分も多めに摂取、塩分や栄養分の補給も怠りなかったのですが、それでも落とし穴ってあるんですね。

 

思い出したのが二年前の今頃の、後で考えたら熱中症だった?体験です。 

蓬莱山頂から長池をまわっての読図山行、湿度は高めだったものの風もあり、それほど不快に感じない日でした。が、昼食後に歩き始めてすぐに突然嘔吐、その後はどんどんと体調が悪くなり、半時間後には空身ですら3歩歩いて3分休む・・それがやっと・・にしか進めなくなりました。メンバーだったK藤さんとKF川さんとK子さんの大きな大きな忍耐と助けを得て、さらに琵琶湖バレイの職員さんにも助けてもらって、その日無事に帰宅できましたがあの時のしんどさは思い出してもぞっとします。

 

Mさんの回復をみていて、私との違いは何だろうと思いました。一番大きいのは、Mさんが「これは熱中症?」と早い段階で気が付いたことではないかと思います。

私の場合、暑さに強いという勝手な思い込みがあって、熱中症はどこか他人事となめていた分、不調に気が付くのが遅くなりました。とことん悪くなってからでは回復は時間がかかります。さらに悪くならなかったことがせめてもの救いです。

 

夏でも低体温症になります。日陰ばかりでも熱中症にもなります。

これから大きな山に入る機会が増えるこの季節です。体調管理と体の声に

気を付けたいと思います。                   K林T子

 

 

<寄稿>

 

初めてのアルプス

鳳凰三山縦走・雨のち晴れ

25年前に雪稜会に入会して夏山合宿で鳳凰三山縦走に参加。

勿論、アルプスは初体験ですので何もわからないままです。

深夜に駐車場に到着。車中にて仮眠をとり五時起床、夜叉神峠登山口から出発。テント場まで標高差千メートルの夜叉神峠コース、最初は樹林帯の緩やかなコースですが次第に厳しさを増してきます。

初心者の自分に合わせて皆さんゆっくりと歩いてくれますが20キロ近いザックが肩に食い込んできます。

途中から雨が降り出し最悪の条件となる。

やっとのことでテン場に到着。テントを張り食事をして雑談をしていると

寒さで体がぶるぶる震えだしました。

その原因は、雨具がゴアでなくバイク用でしたので下着(それも木綿の)が蒸れてビチョビチョだったのです。他の人はゴアの雨具だったので何ともなかった。これこそ経験の差ですね。

翌日は快晴で三山縦走は快適でした。目の前にはオベリスク(地蔵岳)・薬師岳・観音岳の三山がさらに甲斐駒・北岳・(同じアルプスの呼び名でも金勝アルプスとは全然スケールの違う)展望に大感激しながら広河原に下山。この時にアルプスに惚れ込みました!(^^)!  鳳凰三山には、その後も二〜三回歩いていますがその都度優しく迎えてくれています。

帰ってから登山用品店(あるむ)に行き、店長から「しっかりした装備をしないと命取りぜっせ」と脅され、山道具一式10万以上の買い物をさせられました。

その時の山靴(底は張り替えましたが)今でも裏山散策には役に立っています。最近、諸般の都合で山から遠のいていますが機会があればもう一度歩いてみたい気持ちはありますが・・・果たして脚がもってくれるかどうかが問題ですが! 

40周年記念山行・できれば何処かのコースを歩きたいな〜!(^^)!

                       YO

 

遭難していたかも

 今月号は投稿が少なく冊子が少し寂しいので以前「巻頭言」でごく一部を発表した文章ですが原文はずっと長くぜひ皆様に一度一部始終を読んでいただきたいと思い投稿いたしました。

 登山中にもっとも出会いたくないのが「熊」ですが、あと一歩という危険に遭遇したことがありました。この登山中は「あれっ?」とか「何かおかしいな、やめようか、まあいいや、何とかなるだろう」程度の軽い気持ちで、自分の置かれている状況がそんなに危険と隣り合わせという感覚は全くありませんでした。しかし時を経て振り返ると、よくぞ無事で帰れたものと冷や汗を出しながら反省しています。今から約40年以上も前の「単独行だがそれがどうした」という若気の頃です。(6月の山行ですが予定コースの登山道には残雪がないことを確認しています。)遭難すれすれの話など自慢げにするものではありませんがコーヒー等を飲みながらご笑読ください。

 

 谷川連峰の松手山コースから登り始め、平標小屋・蓬峠小屋で泊まり、アルプスのような景色に見とれ、途中の避難小屋を通過する度にかってそこで起きた悲劇を思い浮かべながら(谷川岳遭難記等)谷川連峰の山歩きを堪能して以来、すっかりこの山域の虜となりました。

 

 通い始めて3年目のこと、マチガ沢下部〜巌鋼新道〜を登り、谷川岳〜一の倉岳〜蓬峠〜湯檜曽川へ下山という計画で出かけました。いつもは盛夏に出かけますがこの年は梅雨前の残雪を見たいと思い、6月を選びました。マチガ沢へ入り途中から巌剛新道に取り付きますが、クサリ・ハシゴが多くあり、とても急な登りです。駅から3時間ほどかかってやっと西黒尾根道へ出て、山頂を目指しました。それまでどんよりとしていた空に大きな雷鳴が響きました。どんどん暗くなり、雷鳴が近づいてきます。「これはマズイ」と思ったと同時にたたきつけるような大粒の雨が降り始めました。巌剛新道との合流点から上部は雨を避けられるような樹木はありません。雨具をつける余裕もなく急いで近くの岩陰に逃げ込んだのですが、雨を透かして見えるマチガ沢やシンセン沢がみるみるうちに今までなかった滝をいくつもかけ始めました。岩峰である谷川岳は雨が降れば水分を吸収できなくてたちどころに流れ出すようです。雷鳴と雨の中でその様子を見ていましたが、雷も遠のき雨も小降りになった時は全身ずぶ濡れで頂上を目指す意欲も気力も萎え失せ、そぼふる雨の中、何も考えずに急な巌剛新道をくだりました。後から思えば西黒尾根をくだったほうがはるかに安全であったのに---。すさまじい稲光と激変する景色に少々動揺していたのでしょう。

 

 その夜は「土合山の家」で泊まることにしました。同宿者に登山客はなく、ヘリコプターを使ってスキーリフトや送電線を巡視する仕事関係の人ばかりでした。彼らは食事中ワイワイと話していましたが、その中で「今日の雷はすごかったなあ」「一の倉

沢から上流は熊がいっぱいいる。ヘリからよく見えるよ」「一年ほど前に芝倉沢で行方不明になった登山者はこの前見つかったそうだ」「アレにやられて引きずり込まれたらしい」「だからあのコースは閉鎖しているようだ」などが耳に残りましたが、会話に入る気力もなく疲れていたのとビールのおかげですぐに眠りにつきました。

 

 翌日は打って変わって快晴となり、心も軽く山岳センターに今日の登山届を提出したとき、何気なく芝倉沢の雪渓の残り具合を確かめました。係の人は「今年は雪渓の状態は大丈夫ですヨ。途中で切れてはいませんが中芝新道はねえ------」とあまりよい返事ではありません。しかし緊急時以外は通るつもりはないので予定のルートの登山届を提出し、うきうきと西黒尾根を登りだしました。途中、上越国境の山々、オジカ沢の幕岩、雄大な万太郎山、一の倉沢のルンゼなどに見とれていたので、一の倉岳到着は予定より1時間以上も遅くなっていました。このまま蓬峠を越えてゆくと予定していた電車に遅れそうです。その次の電車までは長時間待たねばならず夜行列車に乗れなくなりそうです。予備日を一日とっていたので蓬峠で1泊すれば何でもないのに何を急いでいたのでしょう、中芝新道をくだれば遅れを取り戻せることに気がつき、早く下ることばかり考えていたようです。「ガイドブックによれば芝倉沢の雪渓は傾斜がさほどでもなさそうだ。山岳センターでは雪渓は切れていないと言っていた。アイゼン・ピッケルとも持ち合わせていないがステップカットで何とかなるだろう」と予定のルートを変更することにしました。しかし、山頂にある道標のうち中芝新道と思われる方向を指しているものはノコギリの切り口も新しく切り落とされているではありませんか。「あれっ?」。いやな予感がしたのですが「まあいいか」と安易な気持ちで下り始めました。この時は前夜の話など思い浮かびもしなかったのです。昨年国境稜線から堅炭尾根の岩峰群を見たとき、そこに「中芝新道」の踏み跡があり一度通りたいと思っていたのです。

 

 堅炭尾根へ続くこの踏み跡は、右手の名だたるフリークライミングのメッカ「幽の沢」の上縁をたどる急な下りで瞬く間に「一の倉岳」の山頂が遠のいてゆきます。わりあいにしっかりとした踏み跡を2〜30分もくだった頃でしょうか、妙な胸騒ぎを覚え「やめようか」と思いましたが、見上げると稜線ははるかに遠のき、「幽の沢」からはクライマーの掛け声も聞こえるので「大丈夫だろう」と、引き続き急峻な堅炭尾根をくだりました。やがて踏み跡は屹立する岩峰群を避けて左手の芝倉沢へ急降下します。この辺りから怪しくなる踏み跡は途中までは何とかたどれましたが、背丈ほどもあるササ原になるところで見失ってしまいました。急傾斜の上びっしりと生え込んだササで足元はズルズルと滑り転がり落ちそうになりながらも何とか雪渓までくだって雪面にのりましたが、人が通った形跡は全くありませんでした。登りにとれば雪渓からあの尾根にある踏み跡へ登り着くのは容易なことではないと思われました。

 雪渓はそこそこの傾斜でしたが、この程度ならステップカットで十分くだれると判断し歩き出しました。(ダメなら尾根のトラバースで逃げるつもりでした。)しかし途中のゴルジュと思しきところで傾斜が強くなり、ピッケルもアイゼンもない状態でこの傾斜をくだるのは「エッ、チョット待てよ」と一瞬ためらいましたが、いまさらあのササの急斜面を攀じ登る気力もなく「何とかなるだろう」とステップのみで慎重に下ります。左にクレバス右にシュルンドが大きく口を開けていましたが、スリップすることもなく無事通り過ぎました。この時もすごくノーテンキで、周りの危険な状況がよく理解できていなかったと思います。いったんスリップすれば間違いなくクレバスの中へ消えた事でしょう。やがて清水峠の旧巡視路に出ました。この道は雪崩であちこちが崩落し一部分は地図から消えてしまった道です。コーヒーでも飲もうかと湯を沸かし始めたのですが、気が付くと近くの岩の上には放置されて時間が経つ様子のスニーカーが二足きちんと揃えてあり、そこには遭難碑が埋め込まれていました。日差しは明るく暑いぐらいですが何となく背筋が寒くなり、沸き上がった湯を捨てて大急ぎで荷物をまとめ出発しました。すると右手の山の中から大型犬の鳴き声によく似た動物の声がします。「犬かな?」と思ったのですが、その考えは全くの見当はずれであることが直ぐに判りました。下の谷から大きな動物が急いで駆け上がってくる気配がしたのです。もちろん二本足ではありません。一瞬うろたえましたがどうしようもないのでそのまま前を向いて無関心をよそおいひたすら歩きました。

 

 その動物は私から少し距離を置いて平行して動いています。バリバリと小枝を折ながら歩く足音からするとシカのような軽快なものではなく、ノッシノッシとかなり重量のある動物のようです。生きた心地もなく頭の中は真っ白で呼吸も動悸も感じません。「走るな!」それだけを念仏のように唱えながら歩いてゆくと小さな流れがあり、それを飛び越えた時なぜか「アレのテリトリーはここまでだ!」、確信に近い思いが頭をよぎり、思い切って振り返ってみると黒い大きな背中が斜面をゆっくり上がってゆくのが見え、根元が雪の重さで曲がった直径10cm位の木々が斜面の下から上へと順番にユッサユッサと揺れています。ぼんやりとその様子を見ていましたが、気が付くとあの鳴き声は聞こえません。そのとたん意識したわけでもないのに脱兎のごとく走りだしました。背中のザックの重さも地面を蹴る感覚も全くありません。まどろっこしくて夢の中を走っているようでした。「脱兎のごとく」とか「足が地につかない」とはこのことだと初めて知りました。走って走って虹芝寮の降り口にマイクロバスを見つけホットして気が抜けてしまい走るのをやめたのでした。一の倉沢出合いのざわめきも他人ごとにしか思えず途中1000人近くの名前を刻んだ慰霊碑を通り過ぎ、土合駅でトンネルから出てくる電車の「プア〜ン」という警笛を聴いたとき、「ひょっとしたらあの慰霊碑に自分の名前が入っていたかもしれない。でも間違いなく生きている」という実感が体の中を駆けめぐり、あれほど怖かったことがおかしくもあり、こんな不思議な感覚は今まで経験したことのないものでした。あの背中の黒い大きな動物は何だったのでしょうか。←「熊」です

 

 帰り着いてから読み直した遭難関係の本の中に遭難救助隊員の言葉として「遭難する人は水が流れるように下へ下へと降りてゆく。なぜ踏みとどまらないのか、なぜ引き返さないのか」という一節が目にとまり、まさしくその通りだと、恥ずかしくなりました。いやな予感や胸騒ぎを何度も覚えながらとどまることも引き返すこともせず物理的・精神的に安易なほうへと流れていったこの山行は冷静に見れば全く冷や汗もので、幸運に恵まれあと一歩を踏み出さなかったことに感謝しています。この時から山に対してより敬虔に慎重な気持ちで接するようになりました。以来、谷川岳には足を向けていませんが、あれからかなり時間も経ちノドもと過ぎれば何とやら---。またあの山域を歩ける間に---。と思っています。

                          Y本H雄

 

<技術講習会受講報告>

ナビゲーション超入門講座

 日 時 : 2019年6月30日(日) 9:30〜16:00

 会 場 : 滋賀県スポーツ会館

 講 師 : A田 氏(彷徨倶楽部)

 参加者 : 12名(比良雪稜会6名)

 

 午前中に、地図読みに必要なコンパスの使い方、GPSシステムの仕組み、スマホのGPSアプリの特徴など基本的な事項を学習。

 午後から、等高線を利用した標高算出、断面図作成。尾根線、谷線の判読。コンパスを使った現在地、進行方向確認方法など実地で役立つ練習問題を行った。また、国土地理院地図の利用に便利なカシミール等のソフトの紹介、基本的操作方法を教わった。

【一口感想】

   さっぱり勉強不足なので良い機会だと思い受講させていただきました。基本的なことであっても理解するのはなかなかむつかしいです。       (N尾)

 

   読図と山地図のアプリが勉強できるというので参加しました。以前に、友永さんの読図に参加してるのですが、歳のせいか、なかなか覚えられず、おまけにすぐに忘れるしで、この機会に、新たに一からやりなおしました。地図上のアップダウンが少し理解でき、また知らなかったアプリを教えてもらい、大満足です。

                                    (I井)

   地形図を読むこと、目的地までの断面図を描くこと、コンパスを使って進行方向を把握したり、現在地を確認すること、初めて学ぶことばかりでしたが、丁寧に解説していただき、とても勉強になりました。また地図読み山行などにも参加してみたいと思いました。                   (T田美)

 

   充実した講習会でした。わかっているようでわかっていなかったことに気づかされました。また問題を解いていくうちに少し整理できたように思います。これを実際の山でいかに活用出来るか、これからも地図読みを頑張っていきたいと思います。地図のアプリも色々な機能がつけたされているのに全然気が付きませんでした。見やすい地図作りもいろいろ試していきたいです。     (G阿弥)

 

  ナビゲーション力は、すぐには身につきません。地図読みの本を読んでもなかなか理解できないことも多いです。機会があれば是非、皆さまも参加してみて下さい。                             (H野)

 

 

 

自己紹介

 

 

2019年7月より再入会となりますが、宜しくお願いします。

人生早いもので、今年の1月 60歳還暦を迎えました。 会社も3月で定年退職となり、第2の人生へと歩み始めました。

2005年以来の、14年ぶりの比良雪再入会となりますが、入会時に当会や県連で多くの技術を学びました。

その経験を活かして、職場でも登山の魅力を発信して 多くの登山仲間を作りました。

職場では休日が限られて且つ 登山費用も抑えて、強行な山行ばっかりでしたが、楽しい?荒行みたいでしたが・・・。

日頃は、釈迦岳〜北比良峠でトレーニングをしていますので、もしも遭遇されたら声をかけて下さい。

NHK朝ドラの大ファンで、“なつぞら”を毎朝と 夕方の懐かしい再放送もしっかりと観ています。

 

北比良  K谷 T

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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